史跡めぐり

城南、富樫、伏見台、扇台、額により金沢市南部の公民館が「金沢市南部丘陵歴史夢街道協議会」を結成し、地域が主体となり個性ある地域づくりや連携・交流を進め、地域の活性化を目的に整備しました。
地域づくりとともに、目的地に向かって移動するだけでない”楽しみながら巡る”新しい「まちづくり」を目指します。
金沢市南部丘陵歴史夢街道は金沢市の観光名所です。

金沢南部丘陵歴史夢街道

金沢南部丘陵(富樫丘陵)には歴史を今日に伝える史跡や伝説が多く存在するとともに、自然林に恵まれることから、動植物や特殊地層の観察拠点としても注目を浴びています。
当地の歴史は古く、平安時代から富樫一族が野々市に館を構えて統治しており、戦の拠点である高尾城周辺には武家屋敷集落が形成されていたと考えられます。
室町時代には、加賀守護富樫政親が一向宗徒と戦い、高尾城で敗れた後(長享一揆)、約百年間「百生持ちたる国」として尾山御坊を中心に独自の文化や芸能がは育まれきました。
こうした南部丘陵の歴史と文化を後世に伝えるために、野田山から四十万霊峰山に至る約6キロの区間と15の拠点を、当時の栄華を偲ぶ「歴史夢街道」と名付け、歴史と自然に触れながら街を歩くことのできるコースを作成したものです。

チェックポイント

加賀藩主前田家墓所(国史跡)

城下南方に位置する野田山中腹に営まれた大名家墓所で、初代藩主前田利家夫妻を中心とする初期大名の家族墓所群と、3代前田利家以降12代までの歴代藩主墓群、明治以降の改葬墓群などから構成されています。平成21年2月12日に高岡市の前田利家墓所とともに国の史跡に指定されました。

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大乗寺(国指定重要文化財、県・市指定有形文化財)

今から700年ほど前、永平寺3代目住職を退いた徹通義介禅師が開いた寺です。加賀の守護職富樫家が外護し、はじめは野々市の地にありました。この寺は永平、総持の両大本山と格別に由緒がふかく、しかも「規矩大乗」とも言われ、厳しい修行道場として世に知られてきました。

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大乗寺丘陵公園

金沢の南部に広がる丘陵地帯。その豊かな緑を復元し、永く未来に継承するために整備された金沢を代表する公園(総合公園)です。 眼下に金沢の街が広がり、晴れた日には日本海まで見渡すことのできる壮大な眺望。広い空と豊かな森に囲まれた、ゆったりとした時が流れる公園です。

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大桑層化石産地の甌穴(天然記念物)

山科の丘陵地帯には浅い海底で蓄積した大桑砂岩層が分布し、貝類を主とする化石の層を見ることが出来ます。また、河床には、大小さまざまのつぼ状の穴ができています。これを甌穴といい、化石の産出状態が良好で、侵食現象が顕著に見られることから、国の天然記念物に指定されています。

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藤五郎神社

藤五郎神社は昭和6年(1931)4月に、山科青年団の一部の人たちが山科神社にあった碑をここに移して小祠の祭神としました。 この辺りには、芋掘り藤五郎ゆかりの伝承が数多く点在しています。尚藤五郎夫婦を葬ったとされている二五塚(一説には二子塚)は大乗寺の裏から西へ約180mにあり、そこを昔は寺地山と言いました。

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九万坊大権現

三聖大権現という形で九萬坊の他に八萬坊、照若坊という三人の天狗を祀り、それぞれを本地仏として薬師如来・不動明王・十一面観音に擬えています。眼下に金沢の街が広がります。

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斎地神社

現在の神殿は、明治39年12月、神饌幣帛料供進神社に指定されました。又、現在の窪会館の所に在った二社を合祀して80年程前に窪村の住人で田鶴万助という宮大工が棟梁として社殿を建立しました。現在の社務所はその面影を残しています。

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禅ヶ峯神社

古くは八幡神社又は筑紫宮と称し、現在地の西北800mの処に鎮座しています。
明治13年9月筑紫的場神社と改称し、さらに明治16年5月30日に現在地に在った高尾社へ移転合祀されました。社名も字地により禅ヶ峯神社と改称することとなりました。

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高尾城址見晴らし台

長享2年(1488)年に約20万の一向衆軍の一揆で戦場となった場所で、加賀守護・冨樫氏の城があり、これが高尾城といわれています。
高尾の澄んだ空気を吸いながら金沢市だけでなく加賀平野全体を一望できる場所です。

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額谷ふれあい公園

自然とのふれあいを大切にした額谷ふれあい公園は、体育館、運動広場やすべり台、砂場などの遊び場のほかに、熱帯の花や果樹を集めた熱帯植物温室があり、子供から大人まで自然の中で楽しめる公園となっています。

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額谷石切り場跡

藩政期から昭和初期にかけて、市内山間部の多くの村々で生活用具や家の土台石などの素材として、大量の石が切り出されていました。ここはその石切り場跡の一つで、現在確認できるもので20~30ヶ所の洞穴があります。ここから産出した石材は額谷石(ぬかだんし)と称されていました。

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御廟谷(県指定史跡)

高尾城跡の南麓、七瀬川の谷頭の額谷町にある御廟谷は、加賀の守護富樫氏の累代の墓所と伝えられています。地形は四段に分かれ、上段の「寺屋敷」と呼ばれる位置には、石塊が散材し、その下段には五輪塔一基を中心とする石塔がみられます。

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四十万みはらし台

山側環状線ぞいの高台に整備されたこの場所は、市内に7つある見晴らし台の一つで、日本海まで一望でき、金沢のまちなみや景色を楽しむことができます。

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善性寺

真宗大谷派の寺院で、霊峰山と号し、応年34年(1427)に敬授が開山。3代法敬坊順誓のとき寺基が固められました。宝物として、県指定文化財「版本 三帖和讃並正信念仏偈(4帖)」、市指定文化財「紙本墨書正信偈註」など貴重な資料が伝世しています。

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蓮如上人墓四十万霊宝山見晴らし台

蓮如上人の墓があるとされる四十万町の霊宝山の頂上部分に、日本海を一望できる地形を生かし、美しい眺望や地域の歴史に親しむことが出来ます。また、見晴らし台には金沢産のスギの間伐材を活用し地元木材の魅力も感じられる場所となっています。

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